〜戦友と呼んだ友だちのこと〜
先日、高校卒業以来、初めてとなる
忘年会を兼ねた同窓会を開いた。
ただの「久しぶりに集まろう」という会ではなかった。
今年6月、私たちの同級生が、闘病の末に亡くなった。
彼女とは、同じように病と向き合う時期が重なり、
気づけばお互いのことを「戦友」と呼ぶようになっていた。
戦友、という言葉は
どこか大げさに聞こえるかもしれない。
けれど、同じ不安や恐れ、
先の見えなさを抱えながら日々を過ごす中で、
その言葉以上にしっくりくる表現は見つからなかった。
彼女は、驚くほど多くを語らなかった。
病気のことも、苦しさも、
ほとんど周囲には明かさず、
亡くなる前日まで、何事もなかったかのように
家族との日常をインスタグラムに投稿していた。
その姿を見て、
「強い人だね」と簡単に言ってしまうこともできる。
でも本当は、
強さというより、覚悟に近かったのかもしれない。
誰かに心配をかけすぎないこと。
自分の人生を、最後まで自分のものとして生きること。
その選択のひとつひとつが、
静かで、凛としていて、美しかった。
そんな彼女を偲ぶ意味も込めて、
今回はご主人にも参加していただいた。
そこに、特別な演出はなかった。
ただ同じ空間で、
同じ時間を過ごした。
涙がこぼれる瞬間もあれば、
思い出話で声を上げて笑う場面もあった。
悲しみだけの集まりにはならなかったし、
無理に前向きになる必要もなかった。
それぞれが、それぞれの想いを胸に、
ただそこに居る。
そのこと自体が、
彼女らしい時間の過ごし方のようにも感じられた。
気づけば、
「やってよかった」という言葉が
自然と心の中に浮かんでいた。
今回は、いろいろな想いがあって人数を絞ったけれど、
また来年も、同じように集まれたらいいなと思っている。
無理をしない形で。
会いたい人が、会いたいタイミングで。
笑える人は笑って、
泣きたい人は泣いて。
それでいい。
最近、ビートルズの
「All You Need Is Love」という曲のタイトルを
ふと思い出した。
必要なのは、愛だけ。
若い頃は、
どこか理想論のように聞こえていた言葉が、
今は少し違って響く。
誰かを想って集まること。
言葉にしすぎない配慮。
笑いと涙が、同じ時間に存在すること。
あの夜の空気は、
その言葉が決して綺麗事ではないことを
静かに教えてくれた。


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