同じ日に知った、二つの訃報
先日、同じ日に二人の訃報を知った。
ひとりは、訪問で長く関わらせていただいていた70歳の女性。
もうひとりは、親戚のひろ君。
偶然という言葉では片づけられないほど、心に重く残る一日だった。
山を愛した、訪問先の女性
訪問でお世話になっていたその女性は、もともと助産師だった。
結婚、出産を経て、産後に精神を病み、生まれたばかりの双子の男の子と引き離され、離婚。
その後、彼女は「好き」を大切にして生きてこられた人だった。
山登りが好きで、スイスへ旅をし、北海道に移住。
保健師として働き、自然の中で、自分らしく生きておられた。
椎体骨折をきっかけに体調は一変し、排尿障害、下肢麻痺が残り、車を運転することもできなくなり自由に動くことが難しくなった。
それでも彼女は、訪問のたびにたくさん話してくれた。
山の話、人生の話、身の上話。
初回訪問から何か通ずるものがあると言って本当に可愛がってくださった。
私自身の病気が見つかった時には、誰よりも心配してくださり、
帰り際、立位が不安定なのに三三七拍子をしてくださって、二人で大笑いした。
「絶対大丈夫だから。ちゃんと治療に専念してね」と。
治療が落ち着いたら、いつか会いに行こう。
そう思っていた。
けれど、事業所としては「個人的に会いに行く」ことは難しいだろうと分かっていたから、
公私混同はせず、我慢した。
私の療養中も、経過記録だけは欠かさずチェックしていた。
数か月前、肺炎で入院されたと知り、管理者にお見舞いの相談をしたが、
「家族のみらしい」と伺い、あきらめていた。
それでも、退院されたらチラシを渡してもらう約束を、看護師さんとしたばかりだった。
会いたかった。
本当に、急だった。
あまりにも急だった。
残されたご主人のことを思うと、胸が締めつけられる。
悔いがない別れなんて、きっとない。
親戚のひろ君
もうひとりは、親戚のひろ君。
小さい頃はよく一緒に遊んでいたけれど、それ以降はほとんど会うことはなかった。
3兄弟の末っ子ということもあり、とても優しくて女の子みたいでかわいかった。
その後は
「広島でいいところに就職して、結婚もしている」
そんな話だけは耳にしていた。
9月に、おばちゃんとおじちゃんに久しぶりに会いに行った時、
何も聞かされなかった。亡くなられたのは私が会いに行って10日後。
あの人たちは、そういうことを自分から話す人たちではない。
以前からお世話しているしげちゃんから、
「あそこの息子さんが亡くなったらしいよ」と聞いた時も、
最初は間違いだろうと思った。
でも、どうも違う。
気になって、おばちゃんに電話をした。
電話口で、おばちゃんは泣き崩れた。
「親より早く死んだらいかんよ。
親は、悲しいとよ」
その言葉が、今も胸に残っている。
後日、両親と妹と一緒にお参りに行った。
おばちゃんは、ずっと泣いていた。
三兄弟の末っ子。
18歳で就職し、遠方で仕事と家庭を大切にしていたひろ君。
病気が分かった時には、すでに遠隔転移。
7月に分かってから、わずか2か月で亡くなったという。
悔やんでも、悔やみきれない。
それが本音だと思う。
命は有限。それでも、悲しいものは悲しい
当たり前のことだけれど、命は有限だ。
誰にとっても。
でも、
分かっていても、
受け入れていても、
悲しいものは、悲しい。
亡くなった本人が一番無念だろう。
そして、残された人の悲しみは、簡単には癒えない。
だからこそ、
その方々の死が、絶対に無駄にならないように。
私にできることは何か。
どう生き、どう関わっていくのか。
そんなことを、深く考えさせられた出来事だった。
そして今日は本来ならその女性の71歳を迎える誕生日だった。ご冥福をお祈りいたします。

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